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大阪高等裁判所 昭和53年(ネ)1021号 判決 1979年9月20日

控訴人 藤井寺農業協同組合

右代表者理事 松浦義廣

右訴訟代理人弁護士 稲垣貞男

被控訴人 松岡清繁

被控訴人 松岡君子

右両名訴訟代理人弁護士 三橋完太郎

同 渡部孝雄

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人らの負担とする。

との判決

二  被控訴人ら

主文同旨の判決

第二当事者の主張

次のとおり訂正・附加するほか、原判決事実摘示と同じであるから、これを引用する。

一  訂正

1  原判決添付別紙登記目録の表三行目の「昭和五〇年」の前に「大阪法務局古市出張所」を加え、同七行目の「右同日」を「同出張所同月九日」に訂正する。

2  原判決二枚目裏九行目の「締結」から同三枚目表初行の「契約」までを「締結するとともに、右取引から生ずる被告の債権を担保するため、本件各物件につき債権極度額四七〇〇万円の根抵当権設定契約及び代物弁済予約」に訂正する。

3  原判決三枚目表三行目の「直ぐ」の次に「原告らの代理人である」を、同裏一〇行目の「なお」の前に「したがって、原告らは、本件各物件についての一切の処分権限を右安井に与えた旨を表示したものというべきである。」をそれぞれ加える。

4  原判決四枚目表九行目の「一〇日に」の次に「被告組合事務所において右安井の無権代理行為を」を加え、同一〇行目から同四枚目裏四行目まで全部を削除する。

5  原判決五枚目裏六行目の「表れ」を「現われ」に、同六枚目裏七行目の「三一五六九万」を「三億一五六九万」にそれぞれ訂正する。

二  控訴人の主張

1  安井繁一(以下「安井」という。)が被控訴人らから控訴人との間の本件取引及び担保権設定契約に関する一切の代理権を授与された経緯は次のとおりである。

(一) 控訴人は、昭和五〇年一〇月ころ、安井から同人の事業用資金の融資申込みを受けたが、当時安井に対してはかなり多額の貸付をしており、しかも、安井にはすでに担保となるべき物件がなかったため、右申込みを拒絶したところ、安井は、直接安井にではなく、義妹夫婦である被控訴人らに対して貸し付ける形をとって融資するように依頼し、控訴人も、被控訴人らが相当の担保物件を所有していたので、右のような方法による貸付に応じることとした。

(二) そこで、安井が右の件について被控訴人らと交渉したところ、被控訴人らは、被控訴人清繁が主債務者、被控訴人君子がその連帯保証人となって安井のために控訴人から融資を受けること、及び被控訴人ら所有の本件各物件に担保権を設定することを承諾し、安井に対し、実印、印鑑証明書、登記済証、委任状等を交付して、右融資契約の締結に関する一切の権限を委任した。

2  仮に被控訴人らが安井に対し右1のような一切の代理権を与えていなかったとしても、少なくとも被控訴人らは、安井の依頼を受けて同人の債務につき連帯保証をすることを承諾し、安井に対し当該保証契約締結についての代理権を与えていたところ、控訴人は、安井が本件取引契約及び担保権設定契約を締結する代理権をも有しているものと信じて、安井との間で右各契約を締結し、安井に貸付金を交付したのであり、控訴人が右のように信ずるについては、すでに正当理由として述べた事由(原判決事実摘示中の被告の抗弁(二)の事由)のほかに次のような正当理由があったから、表見代理が成立する。

(一) 安井は、右各契約締結の際、被控訴人らの実印、印鑑証明書、登記済証を持参しており、しかも、予め控訴人が安井に交付し、当日安井が持参した農協取引約定書、根抵当権設定契約書、委任状にも所定の個所に被控訴人らの実印が押捺されていた。

(二) 被控訴人らは、前記のとおり安井が控訴人から直接融資を受けることができなかったので、安井の依頼を受けて、まず被控訴人らが控訴人との間で金銭消費貸借契約を締結して控訴人から貸付を受けたうえ、右貸付金を安井に貸し付けることにし、右貸付金の返済方法については安井から直接控訴人に返済する旨の支払担当約束を安井との間でしていた。

(三) 控訴人は、組合員から資金を集めて農業方面への融資を主目的とするいわば相互扶助的な農業協同組合であり、金融機関とはいってもその規模は一般の銀行等と比較して極めて小さく、その調査能力も非常に劣るから、代理人による取引について、一般の金融機関におけるような本人への意思確認義務を控訴人に対し一律に求めることは相当でない。

第三証拠《省略》

理由

一  本件建物が被控訴人清繁の、本件土地が被控訴人君子の各所有であること及び本件各物件について本件登記が経由されていることは、当事者間に争いがない。

二  控訴人は、被控訴人らが金銭消費貸借契約及び本件各物件を目的とする担保権設定契約に関する一切の代理権を安井に授与していたことを前提として、安井との間で本件取引契約及び担保権設定契約を締結した旨主張するので、この点について判断する。

1  右争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

控訴人は、昭和四六年ころから安井が代表取締役をしている株式会社安井組(以下「安井組」という。)に対し継続して資金の貸付を行なってきたものであるが、昭和五〇年九月下旬ころ安井からさらに融資の申込みを受けたものの、当時安井組に対する貸付残高が三億円余りもあって、すでに安井としてはそれを上まわる価値の担保物件を有しなかったことから、その申込みを断わった。しかし、当時安井組は、支払手形の決済資金に逼迫していて、右融資が受けられなければ倒産に追い込まれるおそれがあったし、控訴人もそのような事情を熟知していたので、そのころ控訴人は、安井の妻の妹夫婦である被控訴人らの所有物件を担保として被控訴人らに融資することにしてほしいとの安井の申入れに応じることとし、控訴人側の貸付担当者藤沢参事が、安井に対し、右の件につき被控訴人らの承諾をえて担保物件を提供してもらうように念を押すとともに、右融資に必要な書類として、控訴組合所定の農協取引約定書、根抵当権設定契約証書、登記手続のための委任状の各用紙を交付し、これに必要事項を記載したうえ印鑑証明書等の必要書類を添付して持参するように指示した。そして、控訴人は、同年一〇月三日、安井がそれぞれ被控訴人らの実印だけが押捺された右の農協取引約定書及び根抵当権設定契約証書、被控訴人君子の実印及び被控訴人清繁の実印だけがそれぞれ押捺された右の委任状と被控訴人らの実印及び印鑑証明書、本件各物件の登記済証及び評価証明書とを持参して控訴組合事務所を訪れ、前記融資の件につき被控訴人からその代理人として融資を受けることをすべて任されている旨説明したので、そのとおりに思い込んで安井との間で、前記各書類の作成を完成して債務者を被控訴人清繁、連帯保証人を被控訴人君子とする農協取引契約並びに右取引に基づく控訴人の債権を担保するため本件各物件につき極度額四七〇〇万円の根抵当権設定契約及び代物弁済予約をそれぞれ締結し、同月九日本件各登記を経由して、そのころ第一回貸付金四七〇〇万円を安井に交付した。

右認定事実によれば、その外形的事実から、安井が控訴人との間で締結した右取引契約及び担保権設定契約について、被控訴人らは安井にその代理権を与えていたもののようにも推測される。

2  しかしながら、《証拠省略》によれば、被控訴人らは、昭和五〇年九月ないし一〇月ころ、安井から、他にも多数保証人になってもらうので被控訴人らも安井の控訴人から融資を受ける債務につき保証人になってほしいと依頼されてこれに応じることにし、被控訴人らの実印と印鑑証明書を安井に手渡し、さらにその翌日ころ保証人の財産状態を示すのに必要であるといわれて本件各物件の登記済証を安井に交付したところ、安井が右印鑑等を冒用して、勝手に被控訴人らの名義を使って前記農協取引契約、根抵当権設定契約及び代物弁済予約を締結して本件各物件について本件登記を経由してしまったものであって、被控訴人らが安井に対しこれらの契約ないし予約をするについてその代理権を授与したようなことはなかったことが認められる。

もっとも、《証拠省略》中には、被控訴人君子が昭和五二年七月ころ安井組の倒産を知って控訴組合事務所に問合わせに来た際本件各物件に担保権が設定されていることを否定していなかった旨の供述部分があるが、《証拠省略》と対比して採用することができず、乙第七号証(被控訴人清繁作成名義の控訴人あて三〇〇〇万円の受取書)もその成立を確認できないし、他に被控訴人らが安井に対し前記代理権を授与したことを認めるに足りる証拠はない。

8 そうすると、本件取引契約及び担保権設定契約について、被控訴人らから安井に対し代理権が授与されていたことの証明がないから、右代理権が授与されていたことを前提とする控訴人の前記主張は、すでにこの点で採用することができない。

三  そこで、控訴人主張の表現代理の成否について検討する。

1  控訴人は、被控訴人らが本件各物件についての一切の処分権限を安井に与えた旨を表示したと主張するところ、安井が、控訴人との間で本件取引契約及び担保権設定契約を締結するに際し、被控訴人らから交付された被控訴人らの実印及び印鑑証明書、本件各物件の登記済証等を持参していたことは前記認定のとおりであり、そして、およそ実印や登記済証が不動産をめぐる取引においてその当事者間で極めて重要なものと意識され取り扱われていることは否定できないところであるが、被控訴人らが右のようにその実印、権利証等を安井に交付したという事実だけから直ちに本件各物件についての一切の処分権限を同人に与えた旨を表示したものと認めることはできないし、他に被控訴人らが右趣旨の表示をしたものと認めるに足りる証拠はない。

2  ところで、被控訴人らが昭和五〇年九月ころ安井から同人の債務につき保証人となってほしいと頼まれてこれを承諾し、被控訴人らの実印を安井に預けたことは前認定のとおりであり(もっとも、この事実は被控訴人らの自陳するところである。)、右事実によれば、被控訴人らは、安井に対し安井が他から融資を受ける債務について保証契約を締結する代理権を与えたものと認めるのが相当であるところ、この認定事実及び前記二1の認定事実によれば、安井は、右の代理権の範囲をこえて被控訴人らを代理するものとして控訴人との間で本件取引契約及び担保権設定契約を締結し、他方控訴人としては、安井がこれらの契約を締結するにつき被控訴人らを代理する権限を有するものと信じて、安井との間で右各契約を締結したものであることが認められる。

3  そこで、控訴人が右のように信ずるについて正当の理由があったかどうかについて判断する。

(一)  《証拠省略》によれば、安井の妻と被控訴人君子とが姉妹の関係にあること、安井が藤井寺市内で古くから安井組を経営し、同市会議員や商工会議所会頭もつとめていたいわばその土地の名士であることが認められ、また被控訴人らが安井に対して被控訴人らの実印及び印鑑証明書、本件各物件の登記済証等を交付していたこと、安井が控訴人との間で本件取引契約及び担保権設定契約を締結する際に被控訴人らから交付された右の実印等を控訴人事務所に持参したこと、そして、右契約当日安井が持参した農協取引約定書、根抵当権設定契約証書及び委任状(これらの用紙は予め控訴人が安井に交付したものである)にはすでに被控訴人らの実印が押捺されていたことはさきに認定したとおりである。そして、右認定事実だけからすれば、控訴人としては、本件取引契約及び担保権設定契約の締結について安井が被控訴人らを代理する権限を有しているものと信じたとしても、一応やむをえないことのようにも思われる。

(二)  しかし、控訴人が、昭和四六年ころから安井組に対し継続して貸付を行なってきており、本件取引契約締結前にも安井から従前どおり直接安井組への融資申込みを受けたが、当時安井組に対する貸付残高が三億円余りもあって、安井側にはそれを上まわる価値の担保物件もなかったことから、右申込みを断わらざるをえなかったものの、安井組が支払手形の決済資金に逼迫していて右融資を受けられなければ倒産に追い込まれるおそれがあり、控訴人もそのような事情を熟知していたため、安井の申出に応じて被控訴人清繁に貸し付ける形式をとることとして、本件取引契約及び担保権設定契約を締結するに至り、第一回貸付金四七〇〇万円を安井に交付したこと、右契約締結の準備として控訴組合担当者の藤沢参事が控訴組合所定の農協取引約定書、根抵当権設定契約証書、登記のための委任状の各用紙を安井に交付し、これに必要事項を記載して持参するように指示したのに、契約当日安井が持参した右農協取引約定書、根抵当権設定契約証書、委任状にはいずれも被控訴人らの実印が押捺されていただけで、被控訴人らの署名は全くなかったこと、以上の各事実はさきに認定したとおりであり、さらに、《証拠省略》によると、被控訴人清繁は昭和五〇年一〇月当時株式会社柏原機械製作所に勤務するサラリーマンであり、被控訴人君子は主婦として家事に従事していたものであって、控訴人は、それまで被控訴人らがサラリーマン夫婦であることを聞知していただけで、同人らと取引もなく面識も全くなかったのであるが、本件取引契約及び担保権設定契約を締結するに際し被控訴人らの職業、財産状態や本件各物件の状況についてほとんど調査をしなかったばかりか、被控訴人らについて右契約締結の代理権を安井に与えたかどうかを確認することも全くしなかったことが認められる。

(三)  前記(一)及び(二)の認定事実を合わせ考えると、安井が前示のとおり藤井寺市内において安井組を経営し、公職につく等いわばその土地の名士であったとしても、本件取引契約及び担保権設定契約が締結された当時においては、安井が代表取締役である安井組の控訴人に対する借入金債務残高が三億円余りにも達していて、それを上まわる担保物件もなく、手形決済資金も逼迫した状態にあったので、この状態を熟知していた控訴人としては、安井組に対し直接融資することはもはやできない状況にあったのであるが、この段階で安井組に対する融資を打ち切れば即座に倒産するおそれがあったので、控訴人は、これを回避するため、やむなくいわば便法として被控訴人らとの間で農協取引契約を締結し、同人らに融資してその資金を安井組に利用させるという形をとることによって実質的に安井組に対する融資の目的を達しようとしたのであり、それに右の状況下にありながら右融資する金額は四七〇〇万円という程の多額で、サラリーマン夫婦である被控訴人らとしては、他に特別の財産を有しない限り(当時における本件物件の固定資産評価額も合わせてわずか二〇〇万円足らずであることは《証拠省略》によって明らかである)とうてい負担能力を有しない程の多額の金額であり、しかも、右の契約当日安井が控訴組合事務所に持参した農協取引約定書、根抵当権設定契約証書、とりわけ委任状には、被控訴人らの実印が押捺されていただけで被控訴人らの署名がなかったのであるから、たとえ安井と被控訴人らとが義兄弟の関係にあり、右契約当日安井が被控訴人らの実印、印鑑証明書、本件各物件の登記済証等を持参していたとはいえ、被控訴人ら方の財産状態を特別調査しなかった控訴人としては、サラリーマン夫婦であることを聞知していた被控訴人らが右のような事情のもとで果して安井のいうとおり本件取引契約及び担保権設定契約の締結を承諾しているものかどうかについて疑いをもち、その真偽の程を口頭なり電話なりで被控訴人らに確認してしかるべきであったし、また容易にそのような確認もできたはずであるといわざるをえないのであって(控訴人が一般の都市銀行とは異なる小規模の農業協同組合であるからといって、右事情のもとでこのような確認措置に出ることまでを免れしめてよいとする道理はない。)、この確認を全くしなかった控訴人としては、本件取引契約及び担保権設定契約の締結に関して安井が被控訴人らを代理する権限を有するものと信じたことについては、いささか落度があったものと非難されても仕方がないものというべきであって、しょせん正当の理由がないものといわなければならない。

4  そうすると、控訴人の表見代理の主張も採用できない。

四  また、控訴人は、被控訴人らが昭和五二年七月九日及び一〇日に控訴組合事務所において本件取引契約及び担保権設定契約に関する安井の無権代理行為を追認した旨主張するが、《証拠省略》中右主張にそう部分は《証拠省略》と対比してたやすく採用することができないし、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はないから、右主張も採用できない。

五  以上の次第で、本件各物件について経由された本件登記が実体関係に符合する有効な登記であることの証明がないことに帰するから、被控訴人らの所有権にもとづいて本件登記の抹消を求める本訴請求は、すべて正当としてこれを認容すべきである。

よって、右と結論を同じくする原判決は相当であるから、本件控訴をいずれも棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 唐松寛 裁判官 藤原弘道 平手勇治)

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